とされる。一条兼良の日記『藤河の記』に は、舟で因幡山の麓を過ぎ、この山は因幡社の縁起にある山である、と記している。この「因幡山」は、 長良川からの見通しを…
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とされる。一条兼良の日記『藤河の記』に は、舟で因幡山の麓を過ぎ、この山は因幡社の縁起にある山である、と記している。この「因幡山」は、 長良川からの見通しを…
録として、山科言継の日記『言継卿記』がある。合計3度の岐 阜を訪れた記録が残っており、大下永氏は『言継卿記』の分析から、岐阜城と城下町の構造復元 を行ってい…
録として、山科言継の日記『言継卿記』がある。合計3度の岐阜を訪れ た記録が残っており、大下永氏は『言継卿記』の分析から、岐阜城と城下町の構造復元を行っている(…