(「稲葉城趾之図」、江戸時代、伊奈波神社所蔵) 西 東 南 北 確認した石垣▶ 天守台 ①天守南通路西側の調査 下段石垣の発見 今年度は、①天守…
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(「稲葉城趾之図」、江戸時代、伊奈波神社所蔵) 西 東 南 北 確認した石垣▶ 天守台 ①天守南通路西側の調査 下段石垣の発見 今年度は、①天守…
天守東側には江戸時代の絵図に石垣が描かれ、大正期の絵葉書写真(岐阜市歴史博物館蔵)にその石垣が写っています。現在は取り壊され、南西隅の部分しか残っていま…
蔵『稲葉城趾之図』(江戸時代中期) 岐阜市歴史博物館蔵絵葉書『岐阜古城址天守閣』(大正頃) 令和3年度の発掘調査地点 現在の岐阜城復興天守とその周辺(南から…
実施しました。 江戸時代の絵図『稲葉城趾之図(いなばじょうしのず)』には、天守に向かう通路の両側に2段の石垣が描かれています。現況では、東側は2段、西側は1…
対象として行われた。江戸時代の絵図『稲葉城趾之図』 (写真 3-22)に「赤川洞」と記載された谷の下流で曲輪群と谷川を護岸していた可能性のある巨 石石垣が確…
まり戦国時代の城域が江戸時代には尾張藩、近代には宮内省の御料林へと受け継がれ、現在の国有林となったのです。今回の指定は山麓の織田信長公居館跡を含めた金華山一帯で…
総合調査(文献) 江戸時代・通史 山麓部ガイダンス施設開設 遺構分布調査 天守南側の伐採 その他植生管理重 点箇所の伐採 ベンチ設置 石垣変位計測…
文化的景観。 ・江戸時代以降、城跡として守られ街のシンボルとなる。 公園の価値 ・中世の城主居館跡を核として成立した岐阜市のセントラルパーク。 …
対象として行われた。江戸時代の絵図『稲葉城趾之図』に「赤 表 3-3 既往の山上・山林部発掘調査 第3章 史跡等の現状 53 川洞」と記載され…
町、新町を造らせた。江戸時代の『濃 のう 陽 よう 志 し 略 りゃく 』によると、西野の不動、善光寺如来、小熊の地蔵を城下に移し、美江寺観音と…
山上部は廃城後、江戸時代を通じて立ち入り禁 止であったが、明治時代になり一般に開放される 中で岐阜公園と一体で整備や観光利用がなされ てきた。現在の山…
の植生を概観すると、江戸時代までは一貫してアカマツが主体の山で あったこと、その景観は少なくとも戦国時代以前には成立しており、古墳時代までさかのぼる可能性 …
息が確認されている。江戸時代、尾 張藩主の御成の際に鹿狩りが行われたことが知られているが、近年では鹿の生息例は知られていない。 イノシシは 1997 年に達…
まり戦国時代の城域が江戸時代には尾張藩、近代には宮 内省の御料林へと受け継がれ、現在の国有林となったのです。今回の指定は山麓の織田信 長公居館跡を含めた金華…
献の検討 の結果、江戸時代に尾張藩が管轄した範囲が戦国時代の直接の城域である可能性が高く、その 大半が現在の金華山国有林として受け継がれていることが判明した…