表現されていない広い平坦地が 形成されており、この平坦地を調査したところ、建物の礎石を3石確認しました。 礎石はすべて川原石で、1石は平坦地のほぼ中央、残り…
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表現されていない広い平坦地が 形成されており、この平坦地を調査したところ、建物の礎石を3石確認しました。 礎石はすべて川原石で、1石は平坦地のほぼ中央、残り…
石垣と石垣前面の平坦地 西 東 南 北 天守 石垣前面で見つかった円礫と素焼きの皿 ②天守東側の調査①天守南通路西側の調査 石垣と小規模な平坦…
二層の建物で、崖上の平坦地に自然石を並べた基壇上に建っています。 下層は面取角柱、上層は丸柱からなり、下層柱は礎盤石上に独立して建っています。下層柱腰は貫を…
守の入口前にも小さな平坦地(曲輪) がありますが、その東に石垣は見当たりません。 上は初代復興天守(明治43年建設)が建てら れた後に写された絵葉書の写…
られ たひな壇状の平坦地で構成される。これまでの4次にわたる調査で永禄 10年(1567)~慶長5年 (1600)と永禄 10 年以前の大きく2時期に分かれ…
に形成された小規模な平坦地を確認しました。 調査のまとめ 岐阜城では、これまで山麓の居館跡では庭園は確認されていましたが、今回の調査結果によ…
られたひな壇 状の平坦地で構成される。これまでの4次にわたる調査で上層と下層の2時期に分かれる戦国期の層が確 認され、上層を永禄 10 年(1567)~慶長…
築 き 平 坦 地 を 造 る ・ 池 田 輝 政 に よ り 天 守 の 瓦 が 改 修 さ れ…
対象として、未発見の平坦地、石垣、石切場、岩盤加 工痕などの遺構や遺物の分布状況の確認と記録を行う。 2.試掘・発掘調査 ・前節の各地区の方向…
ア ・分布調査で平坦地が確認されている が、発掘調査は未実施である。 ・山林部各所で確認された砦跡や登城路 の発掘調査を行う必要がある。 ・登…
石垣よりも上方の平坦地で、戦国時代のかわらけ片4点が出土しました。戦国時代に中腹部で人が生活していたことが確認されました。 今後も継続して調査を行い、硬化…
の「上台所」と伝わる平坦地付近(天守南通路西側2)を発掘したところ、 「コの字状」に構築された巨石石垣と石垣を確認しました。 巨石石垣と石垣は、石材の大きさ…
上台所」と伝わる平坦地(付近)の北側は、 『 いなばじょうしのず 稲葉城趾之図』には石垣が描かれていない場 所ですが、現地に石材が見られたため、…
、盛土してひな壇状の平坦地が造ら れ、城主の居館が整備された。 …
また山上部の各平坦地(曲輪)は、明治以降の改変や斜面の崩落がみられるところもある が、その形状をおおむね留めている。これらは絵図との対比が可能で、来訪者…
対象として、未発見の平坦地、石垣、石切場、岩盤加工痕 等の遺構や遺物の分布状況の確認と記録を行う。 ・ 必要に応じて、試掘調査を実施し、内容確認に努める。…
※分布調査で石垣や平坦地が確認されている山林部や山麓 部についても、調査を実施し、内容確認を進めていく。 1.山上部発掘調査の推進 発掘作業の様子 …
構 ・ 山上部の平坦地は明治時代以降の改変や斜面の崩落が見られるが、その形状をおおむね留め ており、絵図との対比が可能である。基本的に岩盤を成形して作り出…
確認されて いる。平坦地間の斜面下で巨石の抜き取り痕と考えられ る土坑が検出された。堆積状況からこの抜き取りは 1600 年の廃城直後である可能性が考えら…