14世紀中頃、わしの本拠地である革手城の北に建立した寺で、禅宗五山派(法燈派)の寺院である。15世紀の中頃には、京都の禅宗寺院のように三門、本堂、法堂(はっとう…
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14世紀中頃、わしの本拠地である革手城の北に建立した寺で、禅宗五山派(法燈派)の寺院である。15世紀の中頃には、京都の禅宗寺院のように三門、本堂、法堂(はっとう…
かいにある大きな楠の根本に建てられた「楠堂之跡」の石碑だけが、当時を静かに物語っております。なお、市立図書館には、同氏より現在の本館の敷地と図書の一部が寄贈され…
、この地を岐阜と改め本拠とされました。それにより、わたくしの夫となる山内一豊もこの地に移り、わたくしどもは、運命の出会いを果たしたのでございます。そして、二人が…
と呼ばれていた岐阜に本拠地を移すと、早速城下の整備にとりかかった。今は小さな水路であるこの梶川堀から東側に武家屋敷を配し、西側へは町屋を配置したのだ。堀の名は、…
と呼ばれていた岐阜に本拠地を移したときには、城下町は戦乱で荒廃しておった。そこで城下町の繁栄のため、加納山(水道山)にある橿森神社の境内にあった御薗の榎(みその…