わたくし、ぎふ・いざないびと、板垣退助がご案内申し上げよう。 明治15年(1882)4月6日、自由党総理であった私は、この地で演説した折に暴漢に襲われてしま…
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わたくし、ぎふ・いざないびと、板垣退助がご案内申し上げよう。 明治15年(1882)4月6日、自由党総理であった私は、この地で演説した折に暴漢に襲われてしま…
わたくし、ぎふ・いざないびと、徳川宗春がご案内申し上げよう。 私は尾張藩7代藩主・徳川宗春である。江戸時代の岐阜のまちは、尾張藩岐阜町として治められておった…
わたくし、ぎふ・いざないびと、岐阜市まちなか博士がご案内いたします。 丸尾錦作氏は、安政3年(1856)加納に生まれ、学習院教授となり、大正天皇の学問の師と…
わたくし、ぎふ・いざないびと、楠(くすのき)の精がご案内申し上げます。 この場所には、かって楠堂(なんどう)という建物がございました。楠堂は、現大垣市出身の…
わたくし、ぎふ・いざないびと、濃姫がご案内申し上げまする。 この墓は、天正10年(1582)本能寺で信長様と共になくなったわたくしの遺髪を埋葬した遺髪塚であ…
わたくし、ぎふ・いざないびと、岐阜市まちなか博士がご案内いたします。 加納本町8丁目と9丁目の境で中山道沿いに加納西番所がありました。江戸時代、ここが加納宿…
わたくし、ぎふ・いざないびと、織田信長がご案内申し上げよう。 ここ岐阜公園の北の正門の前にはのう、長崎平和祈念像の作者としても有名な彫刻家・北村西望作のわし…
わたくし、ぎふ・いざないびと、岐阜市まちなか博士がご案内いたします。 この祠は、長良雄総の桜堤のなかほどにあり、村を救うために犠牲となった娘・おくわの墓と言…
わたくし、ぎふ・いざないびと、織田信長がご案内申し上げよう。 金華山は、山が1つの岩でできており、山の上にある岐阜城の天守閣をはじめ、多くの櫓などを備え、兵…
わたくし、ぎふ・いざないびと、斎藤道三がご案内申し上げよう。 尾張の織田信秀(織田信長公の父)は稲葉山城を攻め、このあたりも戦場となったが、わしは織田の軍勢…
わたくし、ぎふ・いざないびと、松尾芭蕉がご案内申し上げます。 「夏きてもたゞひとつはの一は哉」ヒトツバとはシダ植物の仲間で、一年を通じて一本の茎に一枚だけ葉…
わたくし、ぎふ・いざないびと、織田信長がご案内申し上げよう。 この門はのう、わしの居館跡にある門で、わしの生きた戦国の世の雰囲気が伝わるよう、当時の姿を想定…
わたくし、ぎふ・いざないびと、織田信長がご案内申し上げよう。 わしが永禄10年(1567)に当時井ノ口と呼ばれていた岐阜に本拠地を移したときには、城下町は戦…
わたくし、ぎふ・いざないびと、マルゾッコ像がご案内いたします。 私、「マルゾッコ」と呼ばれるライオン像はフィレンツェ共和国のシンボルです。フィレンツェ共和国…
わたくし、ぎふ・いざないびと、松尾芭蕉がご案内申し上げます。 「石井の水にあらふかたびら」この句は、貞享5年(1688)に、わたくしの詠んだ「山陰や身を養は…
わたくし、ぎふ・いざないびと、松尾芭蕉がご案内申し上げます。 「撞く鐘もひゞくやうなり蝉の聲」この句は、貞享5年(1688)の夏、わたくしがここ岐阜の地を訪…
わたくし、ぎふ・いざないびと、奥平信昌がご案内いたします。 わしは、加納藩初代藩主で、妻は徳川家康様の娘・亀姫である。この門は、加納城の三の丸の跡地に明治3…
わたくし、ぎふ・いざないびと、織田信長がご案内申し上げよう。 永禄10年(1567)9月、わしが斎藤龍興を滅ぼし、美濃を平定、城下町の井ノ口を岐阜と改め、い…
わたくし、ぎふ・いざないびと、徳川家康がご案内申し上げよう。 慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いで勝利した私は、今まで支配の及ばなかった美濃国を、加納藩など…
わたくし、ぎふ・いざないびと、織田信長がご案内申し上げよう。 ここは、伊奈波神社の神宮寺(神社内部に作られた仏教寺院)であった寺で、もとは因幡寺といったが、…