長期の石垣はほぼ残っていないと推定されていました。岐阜城で信長期の本物の天守台石垣が見つかるのは今回が初めてです。 見つかった石垣は永禄10 年( 1567 …
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長期の石垣はほぼ残っていないと推定されていました。岐阜城で信長期の本物の天守台石垣が見つかるのは今回が初めてです。 見つかった石垣は永禄10 年( 1567 …
葉城趾之図』に描かれている、信長公時代とみられる 石垣を確認しました。さらに円礫とかわらけが大量に 出土し、山上にも庭的空間や饗応施設が存在した 可能性が…
土曜)に開催を予定していました令和6年度史跡岐阜城跡発掘調査現地説明会は 荒天のため、2月9日(日曜)に延期させていただきます。 延期日時:令和7年2月9日…
に2段の石垣が描かれています。現況では、東側は2段、西側は1段のみ露出していることから、この下段の石垣の有無を確認するため発掘調査を行いました。 …
に2時期の門を確認していました。 信長期と考えられる門は岩盤を平らに削って柱を立て(令和2年度確認)、道三期と考えられる門は穴を掘って柱を立てる(令和3年度…
蔵)にその石垣が写っています。現在は取り壊され、南西隅の部分しか残っていませんが、これまでの研究では石垣の積み方の特徴と周辺で採集された瓦とその文様から池田輝政…
守台石垣が一部残存していることが判明。 →裏込は天守台石垣の下方まで伸びており、天守台石垣築造のための基礎も兼ねています。このことから、天守台石垣と下段石垣が…
これまで謎に包まれていた裏門の構造解明につながる大発見2 裏門周辺の詳しい調査成果 水手道(めい想の小径)と鼻高ハイキングコースの分岐点において、信長期…
を入念に入れて構築している。 →山麓の信長公居館の石垣と共通する特徴 ※『稲葉城趾之図』(伊奈波神社所蔵)に描かれた石垣と対応すると考えられる ⇒中腹の石…
ーナー部分を造り出しています。 このような構造と平面形が、16世紀前半に美濃国守護の土岐氏によって築かれた山県市大桑城岩門と非常に類似することを確認しました。…