石垣発見伝」を配布しています ページ番号1010918 更新日 令和5年4月17日 印刷大きな文字で印刷 …
ここから本文です。 |
石垣発見伝」を配布しています ページ番号1010918 更新日 令和5年4月17日 印刷大きな文字で印刷 …
で発掘成果の紹介をしています。 所 在 地岐阜市大宮町1丁目(岐阜公園来園者休憩所内) スタッフ 対応日時 9時~16時 (火曜日・年末年始(…
に2段の石垣が描かれています。現況では、東側は2段、西側は1段のみ露出していることから、この下段の石垣の有無を確認するため発掘調査を行いました。 …
、井ノ口城とも呼ばれていました。戦国時代に美濃国を治めた斎藤氏の居城であるとともに、織田信長公が天下統一の拠点とした城としてもよく知られています。 岐阜城跡は…
蔵)にその石垣が写っています。現在は取り壊され、南西隅の部分しか残っていませんが、これまでの研究では石垣の積み方の特徴と周辺で採集された瓦とその文様から池田輝政…
に2時期の門を確認していました。 信長期と考えられる門は岩盤を平らに削って柱を立て(令和2年度確認)、道三期と考えられる門は穴を掘って柱を立てる(令和3年度…
ーナー部分を造り出しています。 このような構造と平面形が、16世紀前半に美濃国守護の土岐氏によって築かれた山県市大桑城岩門と非常に類似することを確認しました。…
守台石垣が一部残存していることが判明。 →裏込は天守台石垣の下方まで伸びており、天守台石垣築造のための基礎も兼ねています。このことから、天守台石垣と下段石垣が…
を入念に入れて構築している。 →山麓の信長公居館の石垣と共通する特徴 ※『稲葉城趾之図』(伊奈波神社所蔵)に描かれた石垣と対応すると考えられる ⇒中腹の石…
長期の石垣はほぼ残っていないと推定されていました。岐阜城で信長期の本物の天守台石垣が見つかるのは今回が初めてです。 見つかった石垣は永禄10 年( 1567 …
これまで謎に包まれていた裏門の構造解明につながる大発見2 裏門周辺の詳しい調査成果 水手道(めい想の小径)と鼻高ハイキングコースの分岐点において、信長期…
、2段の石垣が露出して いました。今回の調査で、通路の西側も 2 段の 石垣により構築されていることがわかりました。 これらの石垣は、江戸時代の絵図『稲…
間四方の曲輪が描かれています。その 曲輪の東には高さ一丈(約3m)の石垣がありまし た。 現在の復興天守の入口前にも小さな平坦地(曲輪) がありますが…
被熱して石が赤くなっています。 全体的に岩盤が平らに削られてますが、さらに念入り に平坦に加工した部分が見られます。 岩盤を方形に浅く削り込んだ部分があり…
上部は元々露 出していましたが、基礎部分と裏込めの調査を行った ところ、石垣は角(出角)の部分である可能性が高く なりました。織田信長の入城の際に築かれた…
リアルタイムで発信しています。ぜひご覧ください! 岐阜城跡発掘調査Twitter(外部リンク) 令和5年度 令和5年度 岐阜城跡山上部発掘調査成果を発表し…
会調査が実施 されている。 ・平成 19年~29年度実施の4次調査で はA~E地区を設定し、内容確認の発 掘調査を実施している。A地区、C地区 では…
現在まで行われている試掘調査を継続し、天守台・虎口・曲輪などの構造解明を目指す。 将来的には試掘調査成果を踏まえ、広範囲の内容確認及び整備に向けた発掘調…
ることを切 に願っています。 最後に、計画作成にご助言いただきました、文化庁、林野庁、 岐阜県、整備委員会の皆様、そして多くの市民の皆様に、心から 感…
などを継続して実施している。平成 23 年度には 『史跡岐阜城跡保存管理計画書』において自然や信仰、景観、岐阜公園など様々な観点から調査 を実施し、平成 2…