石垣のほか巨石列を用いるなど、その構築技術に近世の先駆けともいえるさまざまな要素が窺えます。岐阜城跡は中世から近世への転換期にあたる日本史上重要な城といえるでし…
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石垣のほか巨石列を用いるなど、その構築技術に近世の先駆けともいえるさまざまな要素が窺えます。岐阜城跡は中世から近世への転換期にあたる日本史上重要な城といえるでし…
城趾之図』に描かれている、信長公時代とみられる 石垣を確認しました。さらに円礫とかわらけが大量に 出土し、山上にも庭的空間や饗応施設が存在した 可能性が出…
趾之図」)に描かれている信長期の石垣を確認しました。資料館南側で絵図に描かれていない信長期の新たな石垣を確認しました。→昨年の調査成果と合わせて、岐阜城の構造解…
入念に入れて構築している。 →山麓の信長公居館の石垣と共通する特徴 ※『稲葉城趾之図』(伊奈波神社所蔵)に描かれた石垣と対応すると考えられる ⇒中腹の石垣…
口(出入口)を造っている。 信長は自分の城の入口を大きな石で表示し、見せる城づくりを行ったのではないか。 山上の中心部は信長が大きく改変したと考えられていた…
側は1段のみ露出していることから、この下段の石垣の有無を確認するため発掘調査を行いました。 その結果、信長公時代とみられる下段の石垣…
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、現在の天守が乗っている石垣の下部に戦国時代の石垣が残っていることが確認できました。これらの石垣は、その積み方の特徴や出土した瓦などから、信長期に築かれたものと…
正期の絵葉書に写っている東面の石垣が見つかり、石垣の位置が判明しました。また、遺物では石垣の上に造られた建物に使用されたと考えられる瓦が出土し、池田輝政によって…
垣は2段で構築されていることが判明 天守台の2段目の石垣を発掘調査で初めて確認しました。 →天守台石垣が2段で構築されていることが判明 見つかった2段…
台石垣が一部残存していることが判明。 →裏込は天守台石垣の下方まで伸びており、天守台石垣築造のための基礎も兼ねています。このことから、天守台石垣と下段石垣が同…
之図』に描かれ ているとおり、通路下段の石垣を確 認しました。また、石垣の前面から、 円礫とかわらけが大量に出土し、通 路上に庭的空間や饗応(おもてなし…
石垣により構築されていることがわかりました。 これらの石垣は、江戸時代の絵図『稲葉城趾 之図』にも描かれています。 いな ば じょう し の ず …
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り抜いて通路を造っているのです。右側 には、掘り残した岩盤が高まりとして残 っています。 岩盤はチャートで、非常に硬いのです が、脆いという特徴があり…
表 面)に写っている石垣 ①当時の姿が残っている石垣(織田信長)②当時の姿が残っている石垣(池田輝政) ④残っていない石垣 ⑤明治時代に積み直された石…
調査が実施 されている。 ・平成 19年~29年度実施の4次調査で はA~E地区を設定し、内容確認の発 掘調査を実施している。A地区、C地区 では、…
現在まで行われている試掘調査を継続し、天守台・虎口・曲輪などの構造解明を目指す。 将来的には試掘調査成果を踏まえ、広範囲の内容確認及び整備に向けた発掘調査…
ものを指して呼ばれている。明治 43 年に建設された天守は「模 擬城」「模擬天守閣」、昭和 31 年に再建された天守は「岐阜城天守閣」と呼称されているが、どち…
どを継続して実施している。平成 23 年度には 『史跡岐阜城跡保存管理計画書』において自然や信仰、景観、岐阜公園など様々な観点から調査 を実施し、平成 20…