立波と呼ばれておる。わしは、美濃の守護大名・土岐頼芸に仕えておったが、 頼芸を追放し美濃の実権を握ったのじゃ。弘治2年(1556)に子・義龍と争い長良川合戦で敗…
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立波と呼ばれておる。わしは、美濃の守護大名・土岐頼芸に仕えておったが、 頼芸を追放し美濃の実権を握ったのじゃ。弘治2年(1556)に子・義龍と争い長良川合戦で敗…
雁金と呼ばれておる。わしは、信長様の父・信秀様に仕え、天文20年(1551)信秀様がお亡くなりになり、家督相続争いで信長様と争ったのじゃが、戦いに敗れ信長様にお…
の桐と呼ばれておる。わしは、永禄10年(1567)に信長様から命じられた稲葉山城攻略に成功し晴れて武将として認められ、永禄11年(1568)信長様の上洛の折には…
文字と呼ばれておる。わしは、安藤守就(道足)、氏家直元(卜全)とともに美濃三人衆と呼ばれ、稲葉一徹の名が良く知られておるようじゃ。わしは、はじめ土岐氏、後に斎藤…
黒餅と呼ばれておる。わしは、天文13年(1544)斎藤氏の家臣・竹中重元の子として生まれ、斎藤義龍様、龍興様に仕えておった。竹中半兵衛の名が良く知られておるよう…
てよく知られておる。わしは、永禄10年(1567)に斎藤道三の孫・龍興を破り念願であった美濃を手中におさめたのじゃ。井ノ口と呼ばれておったものを、中国の故事にな…
風物詩となっておる。わしが保護した「鵜飼の篝火から、火をもらう火入れ」ということがこの薪能の特長じゃ。この篝火の炎に照らし出される幻想的な舞台で、一流の能楽師た…