びと、徳川家康がご案内申し上げよう。 慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いで勝利した私は、今まで支配の及ばなかった美濃国を、加納藩などの小藩と、30余りの旗本領…
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びと、徳川家康がご案内申し上げよう。 慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いで勝利した私は、今まで支配の及ばなかった美濃国を、加納藩などの小藩と、30余りの旗本領…
びと、奥平信昌がご案内申し上げよう。 わしは、加納藩初代藩主で、妻は徳川家康様の娘・亀姫である。この城は中山道に面し、関ヶ原合戦直後に西国大名に対する要衝とし…
びと、織田信長がご案内申し上げよう。 永禄10年(1567)※注、わしが後に岐阜城と改めた稲葉山城を攻略したとき、本陣だった場所に移したのがこの寺である。わし…
えの川原町商人がご案内申し上げます。 ここ川原町界隈は、懐かしい格子戸の町屋が立ち並び、ノスタルジックで味わいのある通りとなっています。この界隈は、道三、信長…
びと、奥平信昌がご案内申し上げよう。 わしは、加納藩初代藩主で、妻は徳川家康様の娘・亀姫である。かって加納城の御殿があった、ここ二の丸跡は今も石垣が残っておる…
びと、斎藤道三がご案内申し上げよう。 ここ常在寺は、斎藤家にゆかりの深い寺で、日蓮宗京都妙覚寺を系譜とする寺である。開山は宝徳2年(1450年)、土岐家守護代…
びと、織田信長がご案内申し上げよう。 戦国時代、ここには岐阜城下町の周りを取り囲んで総構(惣構・そうがまえ)と呼ばれる土塁が築かれておった。ヨーロッパなどでい…
びと、織田信長がご案内申し上げよう。 ここは臨済宗妙心寺派の寺院で、開山は文明元年(1469)のことじゃ。永禄10年(1567)、わしが岐阜に本拠地を移すと、…
びと、斎藤道三がご案内申し上げよう。 わしは稲葉山城(後の岐阜城)を居城とするため、かつて金華山北側中腹の丸山にあった伊奈波神社を、この地へ移したのだ。天文8…
びと、徳川家康がご案内申し上げよう。 ここ加納城は、関ヶ原合戦直後に西国大名に対する要衝として、わしが家臣・本多忠勝に築城を命じた城である。廃城となった岐阜城…
ないびと、亀姫がご案内申し上げまする。 わたくしは、徳川家康の娘で、加納藩初代藩主・奥平信昌の妻・亀姫でございます。光国寺は、臨済宗妙心寺派で、慶長19年(1…
尼(りていに)がご案内申し上げまする。 わたくしは、応仁の乱(1467~1477)の頃に活躍した美濃の国の武将、斎藤妙椿様の子・妙純の妻です。この開善院は、応…
、長良川の鵜匠がご案内申し上げます。 岐阜市の中央を流れる長良川と金華山は、市街地にあって今なお豊かな自然を保ち、私たちにうるおいと安らぎを与える岐阜のまちの…
びと、織田信長がご案内申し上げよう。 わしが永禄10年(1567)に当時井ノ口と呼ばれていた岐阜に本拠地を移したときには、城下町は戦乱で荒廃しておった。そこで…
びと、斎藤道三がご案内申し上げよう。 ここ美江寺は、天台宗の寺で、創建は養老元年(717)、かつては瑞穂市にあり、門前も大変賑わっておったのじゃ。その賑わいを…
えの川原町商人がご案内申し上げます。 川原町の本道を少し奥にはいると、黒塀の長い建物が続く蔵のある散策道がございます。そこは、風情のある木戸と蔵の石垣が続き、…
びと、織田信忠がご案内申し上げよう。 父・信長の命を受け、天正10年(1582)、天目山の合戦により甲斐の武田勝頼を倒した私は、代々武田氏が甲斐国でまつってい…
びと、織田信長がご案内申し上げよう。 ここ、JR岐阜駅北口駅前広場には、黄金に輝くわしがおるんじゃ。平成21年9月に岐阜市の市制120周年を記念して、市民の寄…
、イチョウの精がご案内申し上げます。 わたくしは、樹齢およそ500年の市内でもっとも大きな銀杏(イチョウ)です。樹高30m、幹周5.9mの雌株で、岐阜市指定天…
びと、織田信長がご案内申し上げよう。 寺伝では、今の羽島市小熊にいた地蔵を、わしが、永禄11年(1568)に現在地に移したのじゃ。しかし、地蔵が小熊に帰りたい…