ぎふ・いざないびと、土岐頼康がご案内申し上げよう。 わしは、南北朝時代の美濃国・第3代守護である。この寺は14世紀中頃、わしの本拠地である革手城の北に建立した…
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ぎふ・いざないびと、土岐頼康がご案内申し上げよう。 わしは、南北朝時代の美濃国・第3代守護である。この寺は14世紀中頃、わしの本拠地である革手城の北に建立した…
2年(1450年)、土岐家守護代・斎藤妙椿が妙覚寺から世尊院日範を招き、建立したのじゃ。その後、戦国時代となり、美濃国主になったわしは、ここ常在寺を寺領を与えて…
)、わたくしの主君・土岐成頼の菩提所として建立し、禅僧・悟渓宗頓(ごけいそうとん)を迎えて開山しました。悟渓は優れた門下生を多く育て、美濃をはじめとし、全国にそ…
より今次大戦に至る郷土岐阜出身の戦没者の御英霊37,800余柱をお祀りしています。南に金華山を仰ぎ、北には長良川の清流を臨む山紫水明の地にあり、平和と繁栄の神様…
539)、私は主君・土岐氏を追放して、ここ美濃国を手中にしたのじゃ。その頃、ここ稲葉山中腹の丸山には、伊奈波神社という神社があった。今からさかのぼること1900…
ぎふ・いざないびと、土岐頼康がご案内申し上げよう。 わしは、南北朝時代の美濃国・第3代守護である。もとは、第2代守護・土岐頼遠が東濃から長森に本拠を移した後、…
。 わしが、主君・土岐氏を追放して、井ノ口(岐阜)の地に城下町を建設し始めて間もない頃、隣国・尾張から織田信秀(織田信長の父)の軍勢が、井ノ口の町中まで攻め込…
は、美濃の守護大名・土岐頼芸に仕えておったが、 頼芸を追放し美濃の実権を握ったのじゃ。弘治2年(1556)に子・義龍と争い長良川合戦で敗れ討死にしたのじゃ。永禄…
じゃ。わしは、はじめ土岐氏、後に斎藤氏三代(道三・義龍・龍興)に仕えたが、信長様の美濃攻めの折に、われら美濃三人衆が織田方につき永禄10年(1567)信長様は美…
時代の動乱 の中、土岐氏、斎藤氏を経て、織田信長が入城、天下統一 の足掛かりとし、当時「井の口」と呼ばれていた地名が 「岐阜」と改められ、秩序ある城下町の…