わたくし、ぎふ・いざないびと、玉性院の赤鬼がご案内申し上げる。 ここ玉性院は慶長年間(1596~1615)に現在地より西に庵が建てられ、後に現在の場所に移っ…
| ここから本文です。 |
わたくし、ぎふ・いざないびと、玉性院の赤鬼がご案内申し上げる。 ここ玉性院は慶長年間(1596~1615)に現在地より西に庵が建てられ、後に現在の場所に移っ…
わたくし、ぎふ・いざないびと、織田信長がご案内申し上げよう。 この家紋は、織田木瓜と呼ばれ、織田家の家紋としてよく知られておる。わしは、永禄10年(1567…
わたくし、ぎふ・いざないびと、柴田勝家がご案内申し上げよう。 この家紋は、二つ雁金と呼ばれておる。わしは、信長様の父・信秀様に仕え、天文20年(1551)信…
わたくし、ぎふ・いざないびと、岐阜市まちなか博士がご案内いたします。 昭和41年に大ヒットした美川憲一さんの「柳ケ瀬ブルース」の歌碑が、柳ケ瀬の本通りにあり…
わたくし、ぎふ・いざないびと、岐阜市まちなか博士がご案内いたします。 「なかせんどう」の「せん」の字は、「山」、「仙」のどちらなのか疑問に感じたことはありま…
わたくし、ぎふ・いざないびと、斎藤道三がご案内申し上げよう。 この家紋は、立波と呼ばれておる。わしは、美濃の守護大名・土岐頼芸に仕えておったが、 頼芸を追放…
わたくし、ぎふ・いざないびと、岐阜市まちなか博士がご案内いたします。 この家紋は、鶴丸と呼ばれています。森成利は永禄8年(1565)信長の部将・森可成の三男…
わたくし、ぎふ・いざないびと、金華山のリスがご案内いたします。 金華山の南麓にある水道山を走る「金華山ドライブウェイ」は、岐阜公園と岩戸公園につながっていま…
わたくし、ぎふ・いざないびと、イチョウの精がご案内申し上げます。 わたくしは、樹齢400年を超える(推定)大きな銀杏(イチョウ)です。樹高24m、幹周4.1…
わたくし、ぎふ・いざないびと、川端康成がご案内申し上げます。 川端康成です。大正10年(1921)、23歳の私は、東京から岐阜へやって来て西方寺の養女として…
わたくし、ぎふ・いざないびと、斎藤道三がご案内申し上げよう。 わしは稲葉山城(後の岐阜城)を居城とするため、かつて金華山北側中腹の丸山にあった伊奈波神社を、…
わたくし、ぎふ・いざないびと、斎藤道三がご案内申し上げよう。 ここ美江寺は、天台宗の寺で、創建は養老元年(717)、かつては瑞穂市にあり、門前も大変賑わって…
わたくし、ぎふ・いざないびと、板垣退助がご案内申し上げよう。 明治15年(1882)4月6日、自由党総理であった私は、この地で演説した折に暴漢に襲われてしま…
わたくし、ぎふ・いざないびと、岐阜市まちなか博士がご案内いたします。 この家紋は、丸の内に三引両と呼ばれています。佐久間信盛は信長が幼少の頃より仕え、天文2…
わたくし、ぎふ・いざないびと、豊臣秀吉がご案内申し上げよう。 この家紋は、五七の桐と呼ばれておる。わしは、永禄10年(1567)に信長様から命じられた稲葉山…
わたくし、ぎふ・いざないびと、竹中重治がご案内申し上げよう。 この家紋は、黒餅と呼ばれておる。わしは、天文13年(1544)斎藤氏の家臣・竹中重元の子として…
わたくし、ぎふ・いざないびと、稲葉良通がご案内申し上げよう。 この家紋は、折敷(三方)に三文字と呼ばれておる。わしは、安藤守就(道足)、氏家直元(卜全)とと…
わたくし、ぎふ・いざないびと、濃姫がご案内いたします。 かって、わたくしの父・道三、そして、夫・信長が暮らしておりました、ここ岐阜公園に静かで落ち着いた佇ま…
わたくし、ぎふ・いざないびと、徳川宗春がご案内申し上げよう。 私は尾張藩7代藩主・徳川宗春である。江戸時代の岐阜のまちは、尾張藩岐阜町として治められておった…
わたくし、ぎふ・いざないびと、加納宿の町民がご案内申し上げます。 ここ加納宿は、加納城の城下町にあり、中山道の宿場町では、群馬の高崎宿に次ぐ大きな宿場だった…