この場所に移った真宗寺院で、織田信長朱印状、豊臣秀吉朱印状、池田輝政制札状の3通の戦国時代の文書が所蔵されておる。いずれも岐阜市指定の重要文化財となっておる。な…
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この場所に移った真宗寺院で、織田信長朱印状、豊臣秀吉朱印状、池田輝政制札状の3通の戦国時代の文書が所蔵されておる。いずれも岐阜市指定の重要文化財となっておる。な…
勢力を有していた禅宗寺院を抑えるため、当時の禅宗の中心寺院であった瑞龍寺から、ここ伝燈護国寺に寺院の統制権を移そうとしたところ、それに反発した禅僧・快川紹喜(か…
寺は、高野山真言宗の寺院で、雄総山護国之寺(ゆうそうさん ごこくしじ)、雄総観音(おぶさかんのん)とも呼ばれ親しまれています。寺伝によれば、聖武天皇の勅願により…
宗五山派(法燈派)の寺院である。15世紀の中頃には、京都の禅宗寺院のように三門、本堂、法堂(はっとう)が並ぶ大伽藍を誇り、また、応仁の乱により一条兼良・雪舟等楊…
仏習合により真言宗の寺院が境内に設置され、「素戔嗚尊」は「牛頭天王(ごずてんのう)」と同一視され、「牛頭天王社」などと呼ばれていました。明治になり神仏混合禁止に…
こは臨済宗妙心寺派の寺院で、開山は文明元年(1469)のことじゃ。永禄10年(1567)、わしが岐阜に本拠地を移すと、この寺に禁制を出して保護し、織田家の菩提所…
法隆寺や飛鳥寺などの寺院をさかんに造営しました。そして、地方への仏教の広まりとともに、わたしたち地方の豪族が朝廷との結びつきを誇るために、各地に「氏寺(うじでら…
河野門徒の流れを汲む寺院の一つとされております。 関ヶ原の戦いの翌年、慶長6年(1601)に加納藩の創設にともない城下町の建設が開始されると、元和元年(1615…
陣鐘を寄進し、濃尾の寺院を統括させたのじゃ。また、楽市楽座の制札を与え、自由な商売を門前で開かせ、それは、子・信忠たちに引き継がれていったのじゃ。思えば、わしの…
塔頭(たっちゅう・大寺院の敷地内にある別坊)であり、妙椿様の位牌所でもあります。ここには元文2年(1737)に描かれた妙椿様の肖像画(市重要文化財)と短冊が伝え…
社内部に作られた仏教寺院)であった寺で、もとは因幡寺といったが、17世紀中ごろに満願寺に改めたそうじゃ。江戸時代には伊奈波神社から西に伸びる目抜き通りにあったた…
ます。 会場:市内寺院等の施設 主催:NPO法人ORGAN、井の口まちづくり会笑いでまちを元気に!協賛募集について 岐阜市笑いと感動のまちづくり実行委員…
たのだ。さらに浄土宗寺院を、その門前に集め、この寺は伊奈波8カ寺のひとつとなったのじゃ。この地はもとは墓地であり、志半ばで戦死した者たちを弔うのにふさわしい地で…