で支配の及ばなかった美濃国を、加納藩などの小藩と、30余りの旗本領、それに岐阜町などの幕府直轄領に分割して統治した。その後、岐阜町は尾張藩領となり、元禄8年(1…
ここから本文です。 |
で支配の及ばなかった美濃国を、加納藩などの小藩と、30余りの旗本領、それに岐阜町などの幕府直轄領に分割して統治した。その後、岐阜町は尾張藩領となり、元禄8年(1…
わしは、南北朝時代の美濃国・第3代守護である。もとは、第2代守護・土岐頼遠が東濃から長森に本拠を移した後、その跡を継いだわしが、観応年間(1350)頃、その城が…
わしは、南北朝時代の美濃国・第3代守護である。この寺は14世紀中頃、わしの本拠地である革手城の北に建立した寺で、禅宗五山派(法燈派)の寺院である。15世紀の中頃…
岐氏を追放して、ここ美濃国を手中にしたのじゃ。その頃、ここ稲葉山中腹の丸山には、伊奈波神社という神社があった。今からさかのぼること1900年前に、景行天皇によっ…
頃、活躍した武将で、美濃国の守護代じゃ。ここは、菅原道真公をまつった古い神社で、加納城の守護神として、慶長6年(1601)に徳川家康公により現在の地に移されたの…
~1477年)の頃、美濃国の守護代として活躍した武将である。瑞龍寺は、臨済宗妙心寺派のお寺で、金宝山と号します。応仁元年(1467)、わたくしの主君・土岐成頼の…
後、戦国時代となり、美濃国主になったわしは、ここ常在寺を寺領を与えて保護していったのじゃ。しかし、弘治2年(1556)長良川での戦いで、子・義龍に敗れてこの世を…
の美濃ご巡教の際に、美濃国厚見郡西野(現岐阜市西野町)の豪族・一柳直末(ひとつやなぎなおすえ)が、父・直高(なおたか)の遺命により志を申し出て、本願寺の坊舎別院…
も呼ばれ、戦国時代に美濃国を治めた斎藤道三 や、織田信長が居城した城跡として知られている。 関ケ原の合戦後、山頂には建物がないままであ…