発掘したところ、絵図のとおり石垣が続いていることを確認しました。 また、今回の発掘箇所では円礫やかわらけが 少なく、瓦が多く堆積する状況を …
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発掘したところ、絵図のとおり石垣が続いていることを確認しました。 また、今回の発掘箇所では円礫やかわらけが 少なく、瓦が多く堆積する状況を …
た。 江戸時代の絵図『稲葉城趾之図(いなばじょうしのず)』には、天守に向かう通路の両側に2段の石垣が描かれています。現況では、東側は2段、西側は1段のみ露出…
伊奈波神社所蔵の古い絵図ですが、令和元年度に北西隅を調査し、このときに信長期の石垣が発見されたということで大きなニュースになりました。 令和2年度には、絵図に…
正法寺 絵図 絹本著色涅槃図(外部リンク) けんぽんちゃくしょくねはんず 室町 1 小野598-1(外部リンク) 正法寺 絵図…
城の城域は分布調査や絵図・文献史料の検討の結果、現在の金華山国有林の範囲に相当することが分かりました。つまり戦国時代の城域が江戸時代には尾張藩、近代には宮内省の…
掘いたしました。 絵図の通り石垣が続いていることを、まず確認をいたしました。 また今回の発掘箇所では、円礫やかわらけは少なく、瓦が多く堆積する状況を確認しま…
明らかになった。 絵図に描かれている黒野城枡形(ますがた)虎口(こぐち)の土塁西側ラインを確認 江戸時代の宝永七年(1710年)の絵図では、虎口の全長が…
守東側には江戸時代の絵図に石垣が描かれ、大正期の絵葉書写真(岐阜市歴史博物館蔵)にその石垣が写っています。現在は取り壊され、南西隅の部分しか残っていませんが、こ…
城の城域は分布調査や絵図・文献史料の検討の結果、現在の金華山国有林の範囲に相当することが分かりました。つまり戦国時代の城域が江戸時代には尾張藩、近代には宮内省の…
期の石垣を確認。 絵図(「稲葉城址之図」)に描かれる裏門周辺の石垣と位置が対応。 ⇒水の手道沿いに信長期の巨石列(石材9石) 最も大きい石材 長さ140c…
対比ができたことで、絵図の信頼性がより高まった。岐阜城跡で初めて鉄の矢じりを発見(2区) 鉄鏃(てつぞく)の長さ14.6cm、幅2.0cm →慶長5年(16…
いた道で、江戸時代の絵図には「百曲道天守まで七百六十間[1,400メートル弱]」と書かれています。 より良いホームページにするために、ページのご感想をお聞…
確認 二ノ門周辺で絵図(「稲葉城趾之図」)に描かれている信長期の石垣を確認しました。資料館南側で絵図に描かれていない信長期の新たな石垣を確認しました。→昨年の…
岐阜県 絵図 絹本著色兜率天曼荼羅図(外部リンク) けんぽんちゃくしょくとそつてんまんだらず 鎌倉 1 伊奈波通1-43(外部リンク) …
二ノ門に至る通路は、絵図に描かれていることから、戦国時代から存在をしていたと考えられております。 竪堀が今回の調査区まで延びて通路を分断していた場合、時期によ…
歯・口の健康に関する図画・ポスターコンクール」等の入選者の表彰 各種コーナー (開会式終了後(午前10時15分頃)、順次コーナー開場 (午後3時受付終了)) …
伊奈波神社所蔵の古い絵図を見比べて、そこに記されているものがサイズを含め、非常に精度が高いものだということになりました。 現在の技術を使った調査と、かつての歴…
けれども、江戸時代の絵図と同じように石垣が出てきたということによって、今後さらに発掘調査等を進めることにより、岐阜城の全体像が分かってくる見込みが出てきました。…
たということで、この絵図が非常に正確だということがわかったわけです。 もう1つですが、先ほどの石垣の下から円礫(えんれき)が出てまいりました。 実は今回、円…
るものです。 古い絵図の稲葉城趾之図(いなばじょうしのず)には、石垣が寸法を含めてかなり精緻(せいち)に記載されており、これまでの発掘調査でもこの絵図のとおり…