、臨済宗妙心寺派で、慶長19年(1614)、わたくしが創建いたしました。加納城から少し離れた清水川沿いにあり、わたくしは舟でお城に行き来しておりました。わたくし…
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、臨済宗妙心寺派で、慶長19年(1614)、わたくしが創建いたしました。加納城から少し離れた清水川沿いにあり、わたくしは舟でお城に行き来しておりました。わたくし…
関ヶ原の戦いの翌年、慶長6年(1601)に加納藩の創設にともない城下町の建設が開始されると、元和元年(1615)に中山道沿いのこの場所に移されました。東番所手前…
る奥平家の菩提寺で、慶長6年(1601)、夫・信昌が加納藩に移封された後、前封地の三河にあった菩提寺の増瑞寺を移したものです。夫・信昌とわたくしの肖像画を所蔵し…
本尊としております。慶長17年(1612)、伊三郎というものが清水川の中から金の薬師仏像を拾い上げ、光国寺に奉納したものを、当時の藩主であった、わたくしの子・忠…
納城の守護神として、慶長6年(1601)に徳川家康公により現在の地に移されたのじゃ。代々の加納城主の信仰も厚く、今も「加納の天神さま」として親しまれておる。拝殿…
お寺です。この別院は慶長8年(1603)、本願寺第12代宗主・准如上人の美濃ご巡教の際に、美濃国厚見郡西野(現岐阜市西野町)の豪族・一柳直末(ひとつやなぎなおす…
る。 ここ玉性院は慶長年間(1596~1615)に現在地より西に庵が建てられ、後に現在の場所に移ったのじゃ。毎年2月3日の節分には厄よけや開運を祈って「節分つ…