和元年(1615)に夫信昌が没すると仏門に帰依(きえ)し、盛徳院(せいとくいん)と号しました。 この肖像画は、晩年の亀姫を描いたものと考えられ、小袖の上に墨…
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和元年(1615)に夫信昌が没すると仏門に帰依(きえ)し、盛徳院(せいとくいん)と号しました。 この肖像画は、晩年の亀姫を描いたものと考えられ、小袖の上に墨…
長6年(1601)、夫・信昌が加納藩に移封された後、前封地の三河にあった菩提寺の増瑞寺を移したものです。夫・信昌とわたくしの肖像画を所蔵し、また、境内の廟所には…