げよう。 わしは、南北朝時代の美濃国・第3代守護である。この寺は14世紀中頃、わしの本拠地である革手城の北に建立した寺で、禅宗五山派(法燈派)の寺院である。1…
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げよう。 わしは、南北朝時代の美濃国・第3代守護である。この寺は14世紀中頃、わしの本拠地である革手城の北に建立した寺で、禅宗五山派(法燈派)の寺院である。1…
所があった三の丸で、南北に堀があり、現在の加納公民館には太鼓門があったのじゃ。また、加納小学校のグランドにある「思い出の森」は、三の丸の周囲に築かれていた土塁の…
である。門を入ると、南北道路に沿って上級家臣団の屋敷が続き、その奥に本丸へと続く入口があったのだ。なお、この石碑は昭和62年(1987)建立されたものである。 …
げよう。 わしは、南北朝時代の美濃国・第3代守護である。もとは、第2代守護・土岐頼遠が東濃から長森に本拠を移した後、その跡を継いだわしが、観応年間(1350)…