と、玉性院の赤鬼がご案内申し上げる。 ここ玉性院は慶長年間(1596~1615)に現在地より西に庵が建てられ、後に現在の場所に移ったのじゃ。毎年2月3日の節分…
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と、玉性院の赤鬼がご案内申し上げる。 ここ玉性院は慶長年間(1596~1615)に現在地より西に庵が建てられ、後に現在の場所に移ったのじゃ。毎年2月3日の節分…
いびと、織田信長がご案内申し上げよう。 この家紋は、織田木瓜と呼ばれ、織田家の家紋としてよく知られておる。わしは、永禄10年(1567)に斎藤道三の孫・龍興を…
いびと、柴田勝家がご案内申し上げよう。 この家紋は、二つ雁金と呼ばれておる。わしは、信長様の父・信秀様に仕え、天文20年(1551)信秀様がお亡くなりになり、…
と、イチョウの精がご案内申し上げます。 わたくしは、樹齢400年を超える(推定)大きな銀杏(イチョウ)です。樹高24m、幹周4.15mの雌株で、岐阜市指定天然…
いびと、斎藤道三がご案内申し上げよう。 わしは稲葉山城(後の岐阜城)を居城とするため、かつて金華山北側中腹の丸山にあった伊奈波神社を、この地へ移したのだ。天文…
阜市まちなか博士がご案内いたします。 「なかせんどう」の「せん」の字は、「山」、「仙」のどちらなのか疑問に感じたことはありませんか。江戸幕府は正徳6年(171…
いびと、斎藤道三がご案内申し上げよう。 ここ美江寺は、天台宗の寺で、創建は養老元年(717)、かつては瑞穂市にあり、門前も大変賑わっておったのじゃ。その賑わい…
いびと、川端康成がご案内申し上げます。 川端康成です。大正10年(1921)、23歳の私は、東京から岐阜へやって来て西方寺の養女として暮らしていた伊藤初代さん…
阜市まちなか博士がご案内いたします。 昭和41年に大ヒットした美川憲一さんの「柳ケ瀬ブルース」の歌碑が、柳ケ瀬の本通りにあります。場所は、アーケードに覆われた…
いびと、板垣退助がご案内申し上げよう。 明治15年(1882)4月6日、自由党総理であった私は、この地で演説した折に暴漢に襲われてしまったが、幸い傷は浅く命に…
阜市まちなか博士がご案内いたします。 この家紋は、鶴丸と呼ばれています。森成利は永禄8年(1565)信長の部将・森可成の三男として誕生しました。父・可成は元亀…
いびと、豊臣秀吉がご案内申し上げよう。 この家紋は、五七の桐と呼ばれておる。わしは、永禄10年(1567)に信長様から命じられた稲葉山城攻略に成功し晴れて武将…
阜市まちなか博士がご案内いたします。 この家紋は、丸の内に三引両と呼ばれています。佐久間信盛は信長が幼少の頃より仕え、天文20年(1551)信長の父・信秀死後…
と、金華山のリスがご案内いたします。 金華山の南麓にある水道山を走る「金華山ドライブウェイ」は、岐阜公園と岩戸公園につながっています。道の途中の展望台からは美…
いびと、竹中重治がご案内申し上げよう。 この家紋は、黒餅と呼ばれておる。わしは、天文13年(1544)斎藤氏の家臣・竹中重元の子として生まれ、斎藤義龍様、龍興…
いびと、斎藤道三がご案内申し上げよう。 この家紋は、立波と呼ばれておる。わしは、美濃の守護大名・土岐頼芸に仕えておったが、 頼芸を追放し美濃の実権を握ったのじ…
いびと、稲葉良通がご案内申し上げよう。 この家紋は、折敷(三方)に三文字と呼ばれておる。わしは、安藤守就(道足)、氏家直元(卜全)とともに美濃三人衆と呼ばれ、…
産・信長居館発掘調査案内所 ページ番号1020318 更新日 令和8年3月12日 印刷大きな文字で印刷 …
と、加納宿の町民がご案内申し上げます。 ここ加納宿は、加納城の城下町にあり、中山道の宿場町では、群馬の高崎宿に次ぐ大きな宿場だったのじゃ。宿の長さは普通の宿の…
いびと、徳川宗春がご案内申し上げよう。 私は尾張藩7代藩主・徳川宗春である。江戸時代の岐阜のまちは、尾張藩岐阜町として治められておった。歴代藩主は、必ず一度は…