西側1)を 発掘したところ、絵図のとおり石垣が続いていることを確認しました。 また、今回の発掘箇所では円礫やかわらけが 少なく、瓦が多く堆積す…
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西側1)を 発掘したところ、絵図のとおり石垣が続いていることを確認しました。 また、今回の発掘箇所では円礫やかわらけが 少なく、瓦が多く堆積す…
のような空間に使われたとみられ、素焼きの皿(かわらけ)は饗応(きょうおう)の場があったことを示します。 このことから、石垣の上部が単なる通路ではない可能性が…
われたものが廃棄されたと考えられます。(3)天守南西部の調査 天守台の石垣は、明治43年の初代復興天守建設の際に規模を縮小して積み直されたことから、戦国…
に石垣と建物が造られたと推定されています。 今回の発掘調査で大正期の絵葉書に写っている東面の石垣が見つかり、石垣の位置が判明しました。また、遺物では石垣の上に…
→安土城で完成したとされる天守の起源を考えるうえで重要な発見。(3)その他の調査成果 二ノ門周辺と資料館南側で信長期の石垣を確認長期の石垣を確認 二ノ門…
は信長が大きく改変したと考えられていたが、裏門でも斎藤段階の石垣が見つかったことにより、信長段階の改修に組み合わせて、斎藤段階の石垣も引き続き利用していることが…